説明(33)
JR四ッ谷駅麹町口周辺にあった。外麹町口門・四谷口門とも呼ばれ、寛永13年(1636)長門萩藩主毛利秀就によって枡形が築かれた。この門は半蔵門から甲府・信州に至る甲州道が通り、内側には紀州・尾張・彦根藩や旗本など、親藩・譜代の大名屋敷があり、江戸城防衛の要衝の地であった。
明治5年に門は壊され、枡形石垣は明治20年に一部を残して壊された。
説明(33)
JR四ッ谷駅麹町口周辺にあった。外麹町口門・四谷口門とも呼ばれ、寛永13年(1636)長門萩藩主毛利秀就によって枡形が築かれた。この門は半蔵門から甲府・信州に至る甲州道が通り、内側には紀州・尾張・彦根藩や旗本など、親藩・譜代の大名屋敷があり、江戸城防衛の要衝の地であった。
明治5年に門は壊され、枡形石垣は明治20年に一部を残して壊された。