説明 元々当地は徳川御三卿の一つ・清水家の下屋敷があったところで、当公園は屋敷にあった回遊式の大名庭園であった

当地から湧き出ていた湧き水がお茶に適して評判であったことから、「甘泉園」と呼ばれていた

明治時代には相馬子爵家の邸宅になったが、昭和13年に近隣にある早稲田大学の施設となった戦後は東京都に売却されて都立公園となったが、1969年に新宿区の管轄となって現在に至る
名の由来となった湧き水は枯れているが、現在でも大名屋敷の回遊式庭園の面影を多分に残した日本庭園を主体とした公園となっている