説明
 この門は九段坂上にあり、門の前の土橋が千鳥ヶ淵と低地の牛ヶ淵の水位調整をしていました。江戸時代には江戸城北の丸から牛込門を経て上州(現在の群馬県)へ向かう道の起点でした。門の名は、この台地が田安台と呼ばれ、田安神社(現在の牛込筑土神社)があったことに由来します。
門は1620年(元和6年)に建築され、1636年(寛永13年)に修繕されたものが現在に伝わっていると考えられます。高麗門の肘壺金具には、「寛永十三丙子暦九月吉日 九州豊後住人 御石火大工 渡辺石見守康直作」という銘が刻まれており、江戸城のなかでは最も古い建築物です。
現存する石垣は戦災により崩れ、1965(昭和40年)の北の丸整備に合わせて修復されたものですが、地上から2~3段分は江戸時代の原型を保っています。