説明 寛永年間頃までは大橋ともいわれ、奥州口として重要であるとともに、江戸城の正門である大手門へ向かう外郭の門でもあった。丸の内一丁目に位置し、外堀を渡ると、正面には日本銀行本館があり、近世近代の中心地であったことを示している。 寛永6年(1629)出羽・奥州の大名によって建築された。明治10年(1877)に取り壊され、石垣の一部を使って石橋が作られた。文明開化期の石橋はほかの城門・見附でも作られたが、現存しているのはここだけである。国指定史跡になっている。