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説明

 門は、江戸城の巽(たつみ)二重(にじゅう)櫓(やぐら)の対角線上である西北に位置し、乾の方角にあたることから名付けられました。江戸時代、この場所には「上覧所」と呼ばれる施設がありました。上覧所とは主に将軍が物事を見物する場所のことで、例えば、旗本たちが日ごろの武芸鍛錬の成果を将軍に披露しました。また、「天下祭」と呼ばれる山王社(現在の日枝神社)と神田明神(神田神社)の祭礼行列もここに立ち寄りました。1888年(明治21年)、旧西の丸裏門にあたる紅葉山下門がここに移築され、皇居への入場門の一つとして利用されるようになりました。