説明
 中之門は、百人番所や大番所とともに本丸護衛のための重要な門となっていました。大番所とともに与力同心が警備にあたりました。そのため石垣は、大半が瀬戸内海沿岸などで採石した花崗岩からなり、大型の石材を利用した見事なものが残っています。この門は、明暦3年(1657)に肥後熊本藩主細川綱利によって石垣が築かれ、元禄16年(1703)の地震後、宝永元年(1704)に因幡鳥取藩主池田吉明によって改修されたことが石垣修復工事で明らかとなりました。