説明
 江戸城本丸南口の通用門で、本丸へ向かう際には、大手門と並ぶ登下城の門でした。そのため、門の警護は譜代でも6~7万石の大名があたっていました。内桜田門とは、外桜田門(現在の桜田門)に対しての呼称ですが、江戸時代から桔梗門(ききょうもん)という別称が用いられていました。別称の由来は定かではありませんが、寛永の頃、上洛する際に御帰京の祝儀を表したから、あるいは、徳川家康入府の際、太田道灌時代の名残を残す桔梗紋の瓦が残っていたからといわれています。門の鬼瓦には、現在でも桔梗紋が施されています。
 門は1614年(慶長19年)に造られたもので、桔梗濠沿いの石垣も1620年(元和6年)に造築されています。現在も手前の高麗門(こうらいもん)と右手の渡(わたり)櫓門(やぐらもん)からなる枡形門(ますがたもん)が残っています。