説明
 門の名は、門内に馬場があったという説と、寛永期にここで朝鮮の使者の曲馬を将軍が観覧したことで朝鮮馬場と呼ばれるようになったという説があります。門は1629年(寛永6年)に築造されました。明治維新後、二重橋からこの門を経た丸の内一帯は早くから東京の中心街となり、現在も丸の内には復元された三菱一号館や、明治生命館、東京府庁舎跡などがあります。
1904年(明治37年)、日露戦争の戦勝祝賀の行列が馬場先門内に殺到し大勢の死傷者が出たため、1906年(明治39年)に枡形石垣は撤去されました。