説明
 大手門を通って突き当たりの下乗橋までが三の丸で、ここから本丸へ入っていくため、大名の多くは手前で乗物から降りなければならなかった。付近には百人番所や同心番所があり、警備が厳重であった。
 この枡形は、寛永12年(1635)に伊勢津藩主藤堂高次によって建築され、宝永元年(1704)に因幡鳥取藩主池田吉明によって改修されました。現在は手前の堀は埋められ、門もないが、同心番所と枡形石垣が当時の偉容を偲ばせてくれる。