説明

 江戸城北の丸の出入り口で、地名は中世の天台宗清水寺にちなむといわれる。枡形石垣は、寛永元年(1624)安芸広島藩主浅野長晟によって築かれた。江戸時代初期には、武家屋敷のほか春日局や千姫の屋敷などがあり、江戸時代中期以降門の御三卿の清水家が置かれ、また門東側には幕府鉄砲蔵があった。現在は国重要文化財(建造物)になっている。