特別史跡江戸城跡全体像と保存状況

 特別史跡江戸城跡は、田安門・清水門・外桜田門の重要文化財のほか、建築遺構として城門や櫓(富士見櫓など)、番所も残り、江戸城総構えの跡として史跡江戸城外堀跡、常盤橋門跡のほか日本橋川の石垣や神田川など高度利用された都心のなかで全体像が把握されるように残っています。これらは周囲14kmにも及ぶ巨大城郭であった江戸城の跡が残るとともに、都心に残る歴史の痕跡は政権都市であった城下町の構造や街道整備の跡を知ることができます。

 江戸城本丸には天守や御殿は幕末の火災等によって焼失し城跡もあるが、絵図のように皇居内には復元建物も含めて城門や番所、櫓なども多く残っていることがわかります。

 江戸城には80前後の城門(見附)があり、見附は街道の分岐点などの交通の要所におかれた見張り所です。36見附は城門のめぼしい個所を称してました。積み上げられた石垣が400万個以上といわれています。

 江戸城と城下町は、巨大城郭江戸城を中心に250を超える大名が屋敷を構える首府として機能しその範囲は江戸御府内と呼ばれ、約260年の平和の世を築き、明治維新後の近代以降も首都として機能し維持されてきました。

 都心での再開発が激しい地域も多数の歴史文化遺産が分布していることが、調査により把握されました。各区の文化財分布と江戸城関係、大名屋敷関係など約600箇所を抽出し、寺社地や大名墓、災害等の歴史遺産、近代化遺産、江戸の名所となった水辺や台地など風景等の中から、順次お伝えして参ります。 

江戸の初動期、家康の残した城門と石垣

 江戸城は徳川将軍家三代の約半世紀をかけて天下普請として築城した我が国最大級の城郭です。家康・家光時代の城門、石垣も良好に残っています。

家康の時代
家光の時代

江戸城 ギャラリー Edo castle gallery  

*各画像の名称をクリックすると詳細ページに遷移します。順次追加して参ります。

江戸城 大手門

説明 江戸城は三十六見附といわれ「枡形門」とよばれる多くの城門がありました。大手門は、江戸城の正門で、その警護には十万石以上の譜代大名があたっていました。築城当初の門は、...

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江戸城 北桔橋門

説明 門の名は、本丸北端に位置し、有事に備えてはね上がる構造の橋があったことに由来します。本丸西側の西桔橋門とともに、本丸を守る重要な城門でした。この地域は、北の丸から本...

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江戸城 中之門

説明 中之門は、百人番所や大番所とともに本丸護衛のための重要な門となっていました。大番所とともに与力同心が警備にあたりました。そのため石垣は、大半が瀬戸内海沿岸などで採石...

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江戸城 大手下乗門

説明 大手門を通って突き当たりの下乗橋までが三の丸で、ここから本丸へ入っていくため、大名の多くは手前で乗物から降りなければならなかった。付近には百人番所や同心番所があり、...

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江戸城 桔梗門(内桜田門)

説明 江戸城本丸南口の通用門で、本丸へ向かう際には、大手門と並ぶ登下城の門でした。そのため、門の警護は譜代でも6~7万石の大名があたっていました。内桜田門とは、外桜田門(...

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江戸城 松の大廊下跡

*説明準備中

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江戸城 本丸跡

説明 旧江戸城の本丸及び、二の丸・三の丸を中心とした地域は、皇居東御苑にあたる。そのうち本丸約3万4千坪(12万㎡)は、現在芝生となっている。本丸には、天守のほか櫓11棟...

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江戸城 富士見多聞櫓

説明 寛永17年に多聞櫓が配置されましたが、現在の形とはやや異なります。幕末の万延元年の絵図には現存建物と同じ位置、形状の多聞櫓が描かれています。現在の建物は、安政6年(...

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江戸城 坂下門

説明 門の名称は、西の丸から低地に降りる坂下にあたることから名付けられました。江戸城西の丸造営直後に築造され、元は木橋が架かっていましたが、現在は土橋となっています。 現...

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江戸城 天守台

説明 江戸城天守は、慶長11年(1606)の家康、元和8年(1622)の秀忠、寛永15年(1638)の家光という、三代の将軍が代替わりのたびに築き直された、将軍権力の象徴...

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江戸城 二の丸庭園

説明 二の丸は、将軍別邸や世継ぎの御殿が建てられ、御茶屋や庭園泉水などもありました。寛永12年(1635)に竣工した二の丸御殿の平面図によると、現在の雑木林のあたりには御...

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中雀門跡

説明 中之門を通り、左手奥に向かうと、本丸玄関前門(書院門・中雀門)があり、本丸表玄関に通じていた。この門は、大名登城路の最後の重要な門であり、徳川御三家さえも、この門手...

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江戸城 富士見櫓

説明 江戸城本丸から三の丸には、多くの櫓で守られており、本丸で14基、二の丸で9基、三の丸で5基、総数28基を数える。現存の櫓は、富士見・桜田(巽)二重櫓と西の丸の伏見櫓...

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江戸城 乾門

*画像準備中説明 門は、江戸城の巽(たつみ)二重(にじゅう)櫓(やぐら)の対角線上である西北に位置し、乾の方角にあたることから名付けられました。江戸時代、...

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江戸城 和田倉門

説明 1602年(慶長7年)頃の絵図には、「蔵の御門」、現在の和田倉噴水公園では「一の蔵」と記され、これが門の名に由来します。門の築造は、1620年(元和...

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江戸城 馬場先門跡

説明 門の名は、門内に馬場があったという説と、寛永期にここで朝鮮の使者の曲馬を将軍が観覧したことで朝鮮馬場と呼ばれるようになったという説があります。門は1629年(寛永6...

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江戸城 日比谷見附跡

説明 門の名は、この地域に日比谷村があったことに由来します。1614年(慶長19年)に熊本藩主加藤忠広によって周辺の石垣が築造され、1628年(寛永5年)に仙台藩主伊達政...

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桜田門

説明 桜田の名は、古代に桜田郷と呼ばれていたことに由来し、古くから江戸の主要道が通過する場所でした。徳川家康入国直後の絵図には「小田原口」と記載されています。門周辺の石垣...

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半蔵門

説明 伊賀忍者の頭領服部半蔵正成が、伊賀組の与力30騎・同心 200人を従えて、徳川家康とともに江戸に入り、麹町辺りに屋敷を与えられた。この城門警備に当たったことから、こ...

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江戸城 田安門

説明 この門は九段坂上にあり、門の前の土橋が千鳥ヶ淵と低地の牛ヶ淵の水位調整をしていました。江戸時代には江戸城北の丸から牛込門を経て上州(現在の群馬県)へ向かう道の起点で...

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竹橋門跡

説明 門の名は、竹で編んだ橋が最初に架かっていたことに由来します。1620年(元和6年)、仙台藩(現在の秋田県)伊達政宗ほか6名の大名によって石垣が築造されました。この門...

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江戸城 百人番所

説明 大手三の門(下乘門)を守衛した鉄砲百人組が詰めた建物で、甲賀・伊賀組、根来組、25騎組などの百人組頭の与力同心がそれぞれ25人程度そのため百人番所といわれた。甲賀伊...

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梅林坂門跡

説明 本丸北東端に位置していたため、大奥の通用門として上梅林門と下梅林門があった。写真右手が高麗門と渡櫓であり、手前の石垣には二重櫓があった。名の由来は、室町時代の太田道...

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汐見坂門

説明 本丸と二の丸の境界にあたり、10m以上の段差となる。門の名前は江戸城東方に広がる海が見えたことに由来する。かつては坂上には汐見三重櫓や多聞があった。現在は、...

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清水門

説明 江戸城北の丸の出入り口で、地名は中世の天台宗清水寺にちなむといわれる。枡形石垣は、寛永元年(1624)安芸広島藩主浅野長晟によって築かれた。江戸時代初期には...

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諏訪の茶屋

説明 皇居東御苑内、二の丸庭園にある風雅な茶室。火災などで焼失後、11代将軍・徳川家斉の時に創建されています。かつては吹上御苑にありましたが、昭和43年、皇居東御...

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皇居正門鉄橋(西の丸下乗橋)

説明 慶長19年(1614)に西丸下乗橋が架橋されたときの擬宝珠が江戸城最古の貴重な金石文として平川橋に現存する。下乗橋とはその手前で馬や駕籠を降りることを意味す...

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正門石橋(西の丸大手橋)

説明 明治22年(1889)明治新宮殿の造営に伴って木製の西丸大手橋は、久米民之助の設計で皇居正門石橋に架け替えられ、高麗門を取り外し渡櫓門のみとなった。寛永元年(162...

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牛込門跡

説明 JR飯田橋駅西口周辺にあった。牛込口門とも呼ばれ、江戸城北の丸にもっとも近く、牛込・早稲田方面に通じる上州道の出口であった。寛永13年(1636)阿波徳島藩主蜂須賀...

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市谷門土橋

説明 土橋石垣が残る

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江戸城 四谷見附跡

説明 準備中

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四谷門石垣

説明 JR四ツ谷駅麹町口工事によって四谷門枡形石垣が発見され、保存した上で一部四谷見附橋から石垣と再現した裏込めを望むことができる。

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四谷門跡

説明(33) JR四ッ谷駅麹町口周辺にあった。外麹町口門・四谷口門とも呼ばれ、寛永13年(1636)長門萩藩主毛利秀就によって枡形が築かれた。この門は半蔵門から甲...

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江戸城 喰違見附跡

説明(34) 慶長17(1612)年に小幡勘兵衛により縄張りされた土塁を喰違された虎口。江戸城のなかでは唯一残る江戸初期徳川家康時代の城門跡。

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赤坂見附跡

説明 赤坂御門は、寛永13年(1636)に筑前福岡藩主黒田忠之により、この枡形石垣が造られ、同16年(1639)には御門普請奉行加藤正直・小川安則によって門が完成...

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弁慶橋

説明 東神田の藍染川に同じ名の橋が架かっていましたが、明治十八年(一八八五)頃廃橋となりました。明治二十二年(一八八九)にその東神田の弁慶橋の廃材を用いて、ここに...

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溜池櫓台石垣跡

説明 赤坂見附~虎ノ門間の外堀通りは、江戸城の外堀と溜池の跡を通っています。溜池は、近世初頭に上水として 利用されていました。文部科学省構内と、三井ビルディング前...

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雉子橋門跡

説明 江戸時代の門は、現在の雉子橋よりも約50m上流にあり、現在の橋は震災後大正14年に架けられたもの。門は寛永6年(1629)福井越前藩主松平忠昌によって建築さ...

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一橋門跡

説明 一ツ橋一丁目の毎日新聞社と丸紅本社ビルに挟まれる道路上に位置する。現在一橋御門枡形石垣に続く堀石垣の一部が保存されている。明治6年(1873)に取り壊された...

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神田橋門跡

説明 ここは、芝崎口門・神田口門・大炊殿橋門(おおいどのばしもん)とも呼ばれ、将軍が上野寛永寺に参詣に行くための御成道となるため、門の警備は厳重であったと言われま...

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江戸城外堀石垣

説明 雉子橋から常盤橋までの日本橋川は、かつて江戸城外堀の一画でした。関東大震災や首都高速道路建設による護岸改修によって、現在その面影はありませんが、錦橋から神田...

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小石川門跡

 説明 1636年(寛永13年)に江戸城外郭の小石川門が備前岡山藩主池田光政によって築造されました。明治維新後、枡形石垣は1872年(明治5年)に取り壊され、...

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呉服橋門跡

説明 丸の内一丁目と大手町二丁目の間にある永代通りの千代田区東端にあった。呉服橋の南北に外堀があり、東西に道三堀があり、日本橋に通じていた。門内の南側には北町奉行所(東京...

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常盤橋門跡

説明 寛永年間頃までは大橋ともいわれ、奥州口として重要であるとともに、江戸城の正門である大手門へ向かう外郭の門でもあった。丸の内一丁目に位置し、外堀を渡ると、正面には日本...

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鍛冶橋門跡

説明 丸の内三丁目にある東京国際フォーラムの北側道路上にあった。寛永6年(1629)に東北地方の大名によって築かれた。警備は1万石の外様大名が担当した。明治6年(1873...

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数寄屋橋門跡

説明 有楽町二丁目の有楽町マリオンの所にあった。近くに御数寄屋坊主の屋敷があったことに由来するといわれる。門内の北側には宝暦4年(1707)以後、南町奉行所があった。寛永...

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幸橋門跡

説明 内幸町一丁目の第一ホテル新館前道路とその東側JRガ-ド下にかけての道路上にあった。将軍が増上寺に詣でる道筋にあたったため、御成(橋)門ともいわれた。外堀はここから山...

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山下門跡

説明 有楽町一丁目東南角のJRガ-ド下に当たる場所にあった。山下御門のほか外日比谷門、鍋島門、南鍋島喰違門、喰違小形枡形門、土岐前の門、田姫御門など様々な別名があった。寛...

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虎の門跡

説明 桜田通り虎の門交差点辺りに位置する。溜池の南端に位置していた。 名の由来は、四神相応の神獣のうち、大道を守る「白虎」に因むといわれる。慶長11年(1606)に豊後日...

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市谷門跡

説明 寛永13年(1636)美作津山藩主森長継によって枡形石垣が築かれた。この見附は、麹町・番町辺りから市ヶ谷方面への出口として重要な位置を占めていたが、明治4年(187...

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筋違門跡

説明 万世橋と昌平橋の中間旧交通博物館跡地の裏手辺りにあった。寛永13年(1636)金沢藩主前田利常によって石垣が築かれた。門内側は、筋違八ツ小路と呼ばれ、日本橋から本郷...

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浅草橋門跡

説明 JR浅草橋駅東口の南にある浅草橋を中央区側に渡った所にあった。寛永13年(1636)福井藩主松平忠昌によって枡形が築かれた。明暦3年(1657)の振袖火事の時、小伝...

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四谷大木戸跡

説明 江戸時代に四谷に設置された、甲州街道の関所(=大木戸)の跡。新宿区立四谷区民センター(現 四谷4丁目交差点)付近に「四谷大木戸門跡」の碑がある。

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