説明 美濃高須藩主・松平摂津の守義行に由来する「津の守(つのかみ)坂」

徳川幕府より現在の四ツ谷地区を上屋敷として与えられた摂津の守は、邸内に山在り谷在りの風光明媚な庭園を作り上げ、津の守坂はその名残りといわれている


「津の守弁財天」は、そんな四ツ谷荒木町の住宅地の中にひっそりと佇んでおり、このあたりが屋敷地だった頃には周囲に大きな池もあったそうだが、そのほとんどは埋められてしまい、現在はこの弁財天横に小さな池を残すのみとなっている。学問、音楽の神様としても親しまれている弁財天は、花街で芸妓の多かったこの地区で昔から親しまれてきた