説明
門の名は、竹で編んだ橋が最初に架かっていたことに由来します。1620年(元和6年)、仙台藩(現在の秋田県)伊達政宗ほか6名の大名によって石垣が築造されました。この門は、北の丸の東の出入口にあたり、半蔵門から入った山王社(現、日枝神社)と神田明神(神田神社)の天下祭りの山車行列は、この門を通過しました。竹橋門の石垣の多くは撤去されていますが、この門の脇から平川門に通ずる帯曲輪(おびぐるわ)という通路や濠石垣は良好に残っています。1926年(大正15年)に帝都復興事業で架設された現在の橋は、ほぼ江戸時代の橋の位置に架けられています。