説明
門の名称は、西の丸から低地に降りる坂下にあたることから名付けられました。江戸城西の丸造営直後に築造され、元は木橋が架かっていましたが、現在は土橋となっています。
現在、正面から見ると渡(わたり)櫓門(やぐらもん)が見えますが、本来は、高麗門(こうらいもん)を備えた枡形でした。1887年(明治20年)に高麗門が撤去され、渡櫓門を現在の位置に移動して設置しました。
現在の皇居外苑は、江戸時代は西の丸下と呼ばれ、幕府老中などの屋敷がありました。明治維新後は一時、明治政府の官衙・兵営に利用されましたが、明治10年代以降、広場として整備され現在に至ります。