説明
東神田の藍染川に同じ名の橋が架かっていましたが、明治十八年(一八八五)頃廃橋となりました。明治二十二年(一八八九)にその東神田の弁慶橋の廃材を用いて、ここに架け替えられたので、弁慶橋と名付けられたそうです。橋の擬宝珠は、筋違橋・日本橋・一ツ橋・神田橋・浅草橋の古いものを集めたものであったといいます。現在は、それら古い擬宝珠は用いられていません。和風の美しい橋の姿は春の桜・冬の雪景色を背景にして、明治・大正の頃東京の名所でありました。現在架けられている橋は、昭和六十年十二月に改築されたものです。