説明 桜田通り虎の門交差点辺りに位置する。溜池の南端に位置していた。 名の由来は、四神相応の神獣のうち、大道を守る「白虎」に因むといわれる。慶長11年(1606)に豊後日出藩主木下延俊によって石垣が、慶長19年(1614)に肥前佐賀藩主鍋島勝茂によって枡形が建築され、その後何回か改修が行われた。警備は、5千石~1万石の寄合衆が担当した。明治6年(1873)に取り壊された。