説明 JR浅草橋駅東口の南にある浅草橋を中央区側に渡った所にあった。
寛永13年(1636)福井藩主松平忠昌によって枡形が築かれた。明暦3年(1657)の振袖火事の時、小伝馬町牢獄から仮釈放された囚人を集団脱獄と誤解した見附番士が門を閉じたため、猛火に追われた群衆が殺到して約2万人の死者が出たといわれた。明治6年(1873)に門が撤去され、その際石垣の石を使って東京で最初の石橋が作られた。
説明 JR浅草橋駅東口の南にある浅草橋を中央区側に渡った所にあった。
寛永13年(1636)福井藩主松平忠昌によって枡形が築かれた。明暦3年(1657)の振袖火事の時、小伝馬町牢獄から仮釈放された囚人を集団脱獄と誤解した見附番士が門を閉じたため、猛火に追われた群衆が殺到して約2万人の死者が出たといわれた。明治6年(1873)に門が撤去され、その際石垣の石を使って東京で最初の石橋が作られた。