説明 内幸町一丁目の第一ホテル新館前道路とその東側JRガ-ド下にかけての道路上にあった。
将軍が増上寺に詣でる道筋にあたったため、御成(橋)門ともいわれた。外堀はここから山下門に通じる北に向かう堀と、浜大手見附(現・浜離宮公園)に通じる東に向かう堀に分かれていた。
寛永13年(1636)に熊本藩主細川忠利によって建てられ、明治6年(1873)に取り壊された。
説明 内幸町一丁目の第一ホテル新館前道路とその東側JRガ-ド下にかけての道路上にあった。
将軍が増上寺に詣でる道筋にあたったため、御成(橋)門ともいわれた。外堀はここから山下門に通じる北に向かう堀と、浜大手見附(現・浜離宮公園)に通じる東に向かう堀に分かれていた。
寛永13年(1636)に熊本藩主細川忠利によって建てられ、明治6年(1873)に取り壊された。