説明 寛永13年(1636)美作津山藩主森長継によって枡形石垣が築かれた。この見附は、麹町・番町辺りから市ヶ谷方面への出口として重要な位置を占めていたが、明治4年(1871)に門が撤去され、石垣も市電の敷設等で徐々に壊され、大正2年(1913)には枡形石垣すべてが撤去され、現在は橋台石垣の一部を残すのみである。しかしこの周辺の土塁は桜並木となり、市ヶ谷の門の別名「桜御門」の名残をとどめている。
説明 寛永13年(1636)美作津山藩主森長継によって枡形石垣が築かれた。この見附は、麹町・番町辺りから市ヶ谷方面への出口として重要な位置を占めていたが、明治4年(1871)に門が撤去され、石垣も市電の敷設等で徐々に壊され、大正2年(1913)には枡形石垣すべてが撤去され、現在は橋台石垣の一部を残すのみである。しかしこの周辺の土塁は桜並木となり、市ヶ谷の門の別名「桜御門」の名残をとどめている。