説明
二の丸は、将軍別邸や世継ぎの御殿が建てられ、御茶屋や庭園泉水などもありました。寛永12年(1635)に竣工した二の丸御殿の平面図によると、現在の雑木林のあたりには御殿が建てられ、汐見坂の北部に東照社が造営されています。そして、庭園としては、小堀遠州の作といわれる泉水が描かれています。その後二の丸御殿は、焼失と再建を繰り返し、慶応3年(1867)に最後の御殿が焼失します。
昭和43年の東御苑一般公開にあたって、残された九代将軍家重の時代の絵図面をもとに回遊式庭園が復元されました。
現在、二の丸庭園の周辺には、武蔵野の面影を残す二の丸雑木林、都道府県の木など緑が多く、明治45年に吹上御苑に建てられた諏訪の茶屋、皇居正門石橋旧飾電燈があります。