説明
寛永17年に多聞櫓が配置されましたが、現在の形とはやや異なります。幕末の万延元年の絵図には現存建物と同じ位置、形状の多聞櫓が描かれています。
現在の建物は、安政6年(1859)の火災後の再建建物を基礎とし、明治21年に富士見台多門修繕とあります。
説明
寛永17年に多聞櫓が配置されましたが、現在の形とはやや異なります。幕末の万延元年の絵図には現存建物と同じ位置、形状の多聞櫓が描かれています。
現在の建物は、安政6年(1859)の火災後の再建建物を基礎とし、明治21年に富士見台多門修繕とあります。